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地域 | 中国 |
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都市名 | 青島 |
解説 | 1938(昭和13)年12月16日勅令第758・759号により、日中戦争下における対中国行政機関として興亜院が設置され、東京本院のほか、中国各地に華北・華中・蒙疆・厦門連絡部、および華北連絡部青島出張所が設けられた。興亜院の主要業務は、政治・経済・文化に関する対中工作と、在中国事業の監督・統制であり、各連絡部・出張所は現地における連絡事務を担った。このうち華北連絡部青島出張所は、青島特別市公署の管轄地域を担当し、初代出張所長には海軍大佐柴田弥一郎が就任した。また下部組織として、①官房、②政務班、③経済第一・二班、④文化班が置かれ、それぞれ①庶務・人事・会計・通信・翻訳・調査、②政策・情報収集および宣伝・都市建設、③産業・インフラ・金融、④民生・衛生・教育・宗教等に関する事務を管掌した。職員は主に、陸軍・海軍・外務省・大蔵省からの出向者で構成され、1940(昭和15)年時点の所員数は37人であった。 |
上位の階層 | |
参考資料 | Ref: A02030024700「興亜院官制・興亜院連絡部官制」13-41頁。Ref: B02030704000、4-5頁。Ref: B02030703500。本庄比佐子・内山雅生・久保亨編『興亜院と戦時中国調査』岩波書店、2002年、8-11頁。 |