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地域 | 満洲国 |
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都市名 | 新京 |
解説 | 満洲国の司法機関。1932年満洲国建国当初は基本的に中華民国の司法制度を踏襲し、新京に最高法院と最高検察庁を新設したのみでその他司法機関は改編せず、三級三審制をとり、最高法院・高等法院・地方法院および地方分庭を設け、検察庁は法院に対置された。1936年1月4日、治外法権撤廃を前に法院組織法公布。日本の裁判所構成法に改良を加えたもので、地方法院の下に区法院を設けて四級三審制とした。これに基づき、五高等法院(吉林・奉天・哈爾浜・斉斉哈爾・錦州の五か所。1938年10月に吉林が廃止されて新京高等法院設立、1939年6月に牡丹江高等法院増設)四分庭を置くこと、一高等法院が二省を管轄すること、従前の地方法院・分庭所在地には概ね新法院により地方法院・分庭を置くこと、地方法院・分庭所在地には区法院を置くこと、北満特別区は廃止、県司法機関および興安各省における司法機関は当分存置することを原則に司法機関の改組を行った。1937年11月12日に治外法権撤廃を実施。ただし日本人を含む外国人の裁判は渉外庭で日本人の渉外係審判官が行った。1937年5月の時点で審判官338名のうち日本人52名。1938年3~4月に満洲国・日本がそれぞれ満日(日満)司法事務共助法を公布。また従来関東軍・警察が「現地処分」することが多かった抗日活動者を司法裁判機関が処理できるよう、1938年5月に高等法院に治安庭を、1941年8月に特別治安庭を設置した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 官制については、『満洲国政府公報日譯』アジ歴Ref:A06031000000を参照。「政府組織法」教令第1号、1932年3月9日、「暫ク従前ノ法令ヲ援用スルノ件」教令第3号、1932年3月9日(『滿洲國政府公報邦譯』1932年4月1日、第1号、A06031008700、23~24画像目)。「法院組織法」勅令第1号(『政府公報』1936年1月4日、第543号、A06031013000、8~15画像目)。「渉外事件ノ管轄ニ関スル件」勅令第321号、1937年11月25日(『政府公報』1937年11月25日、第1097号、A06031003300、409画像目)。「治安庭ノ設置並ニ之ニ伴フ特別手続ニ関スル件」勅令第101号、1938年5月12日(『政府公報』1938年5月12日、第1226号、A06031002700、381画像目)。郭卿友主編『中華民國時期軍政職官誌』下、甘粛人民出版社、1990年、1822頁。山室信一「「満洲国」統治過程論」、山本有造編『「満洲国」の研究』緑蔭書房、1995年。山室信一「「満洲国」の法と政治――序説」、『人文学報』1991年3月、150頁。塚瀬進「満洲国政府組織」、貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、2012年。副島昭一「「満洲国」統治と治外法権撤廃」、山本有造編『「満洲国」の研究』緑蔭書房、1995年、141、152~153頁。満洲国史編纂刊行会編『満洲国史 各論』満蒙同胞援護会、1971年、372~403頁。荻野富士夫『治安維持法関係資料集』新日本出版社、1996年、第4巻、762頁。 |
歴代長官 部局長等 |
林棨・院長(1932年3月14日~)/井野栄一・院長(1939年12月18日現在)/娄学謙・院長(1942年5月15日~1945年8月15日) |