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地域 | 満洲 |
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都市名 | 長春(新京) |
解説 | 1932年7月12日に日本による満洲国承認が決定されると、日本政府は関東長官・関東軍司令官・満洲国駐箚臨時特命全権大使を同一人物とする、いわゆる三位一体制を実施することとし、陸軍大将の武藤信義がこれに任命された。武藤の渡満に合わせて在満特派全権事務所が満洲国の首都・新京(現在の長春)に設置された。同年9月15日には「日満議定書」が締結され、日本による満洲国承認が実行されると、同事務所は同年12月1日に大使館に格上げされ、武藤が初代満洲国駐箚特命全権大使に就任した。以後、満洲国駐箚特命全権大使には陸軍大将(関東軍司令官)が就任し、関東長官も兼務した。1934年12月26日に関東庁が廃止され関東局が設置されると、満洲国駐箚特命全権大使は内閣総理大臣の監督を受け、関東局の事務を統理することとなった。但し、渉外事務に関しては外務大臣(1942年11月から1945年8月26日までは大東亜大臣)の監督を受けることとされた。なお、満洲国駐箚特命全権大使を補佐するものとして関東局総長が置かれ、内務官僚がその職務に当たった。満洲国駐箚特命全権大使の職務には、関東局令の発布(職権または特別の委任に依る)、陸海軍司令官に対する兵力使用の請求があり、後者については管内の安寧秩序保持をするため必要のある時に請求することが出来るとされた。 |
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参考資料 | 「関東局官制」勅令第348号、1934年12月26日。『官報』第2396号、1934年12月26日(同官制はアジ歴Ref:A03021962600にも記載)。関東局官房文書課編『関東局局勢一般』関東局官房文書課、1937年、5頁。「駐満日本大使館」(川島真執筆)貴志俊彦・松重充浩・松村史紀『20世紀満洲歴史辞典』吉川弘文館、2012年、352-354頁。 |
歴代長官 部局長等 |
武藤信義(1932年12月1日~1933年7月27日死去)/菱刈隆(1933年8月~1934年12月)/南次郎(1934年12月26日~1936年3月6日)/植田謙吉(1936年3月6日~1939年9月7日)/梅津美治郎(1939年9月7日~1944年7月18日)/山田乙三(1944年7月18日~) |