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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 太平洋戦争末期から引き続いて通信事業を管轄していたのは、内閣直属の逓信院(総裁松前重義)であった。第一次吉田内閣の1946(昭和21)年7月1日、逓信院は独立の省に昇格すると、専任大臣が任命されて逓信省が復活した。GHQ総司令部の民間通信局(CSS)は1946(昭和21)年の初めから、通信事業について根本的な調査を行い、翌年、1947(昭和22)年には逓信省との間で共同委員会が設けられ、逓信省の機構再編成ならびに電気通信事業の運営について、研究が続けられた。その結果、逓信省の機構は業務部門別の一貫した組織に切り替えることが必要であるとの結論に達した。逓信省の業務内容が、電信電話事業と性格を異にする郵便・貯金・保険事業と、同じ機構のもとで運営するには非効率であるとの総司令部の指摘を受けて、閣議において逓信省に代わって内閣に二つの省庁を設置する方針「逓信省機構再編成の基本方針」が決定した。この結果、1948(昭和23)年2月15日、逓信省の業務を二分して郵便・貯金・保険の各事業をもって郵政省、電信・電話事業をもって電気通信省が新設された。さらに、「郵政省組織規程」、「郵政省附属機関組織規程」によって、大臣官房のほか、監察・郵務・貯金・簡易保険・経理の5局から成る(人事・資材および建築は、それぞれ部として大臣官房内に置かれた)。さらに、逓信博物館・逓信病院および各診療所や療養所・職員訓練所が付属機関として設置された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 郵政省編『郵政百年史』1971年、689-697頁 |