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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 1938(昭和13)年1月11日、厚生省を新設し、内務省衛生局予防課と防疫課の担当事務を厚生省予防局として移管。優生課、予防課、防疫課を置いた。中でも、民族衛生に関する事項や精神病等に関する事項等を担当した優生課は、時代情勢を象徴する存在といわれる。1939(昭和14)年4月1日、厚生省分課規程の全般的見直しにより、予防課よりらいに関する仕事を優生課に移管。予防課を結核課に改めた。しかし、結核患者は依然として減少の兆しを見せず、同年に財団法人結核予防会が設立されるなど、官民一体で結核対策が推進された。その後、日中戦争の進展や日米間の緊張で人口増強と体力向上がより喫緊の課題となり、1941(昭和16)年8月1日、厚生省は機構改革で体力局、社会局を廃止。人口局、生活局を新設した。また、衛生局、予防局、労働局の課の構成を改めた。1942(昭和17)年7月28日、「行政簡素化実施要領」が閣議決定。大東亜地域に派遣する人材を確保するため、行政の事務刷新と機構の簡素化を進め、中央官庁の定員の三割削減が指示された。そこで11月1日、厚生省の機構改編により、予防局は衛生局に統合された。 |
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参考資料 | 厚生省五十年史編集委員会『厚生省五十年史(記述篇)』財団法人厚生問題研究会、1988年、393-397、405-406、408、410-411頁。 |