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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 通商航海条約の締結や外国における貿易など二国間の通商に関わること及び領事関係を所掌する組織として、1886(明治19)年2月27日に設置された。多くの組織改編を経て、第一次世界大戦後の1919(大正8)年7月2日の条約局設置と同時に通商局では三課体制が導入された。第一課がアジア及び大洋州(オーストラリア、ニュージーランドとジャワを除く)、第二課がそれ以外の地域を担当し、第三課が領事業務を所管した。さらに通商公報係が設置された。しかし1922(大正10)年8月13日に課の分掌が地域系から機能系に変更され、総務課、監理課、移民課、商報課(前身が通商公報係)の四課体制となった。1924(大正13)年6月20日に加藤高明内閣による行政整理の一環として商報課が廃止され、第一課が一般政策、第二課が通商航海及び企業の保護と特定産業に関わる国際約定、第三課が領事移民関係を所管する三課体制となった。1934(昭和9)年6月1日に旅券及び移民関係の事務が亜米利加局に移管され、第一課が通商航海の政策及び制度、第二課が通商航海の保護と調整、第三課が商務、商法に関する事務を担当した。1936(昭和11)年8月1日、地域系による分課が復活して、第一課がアジア及びヨーロッパ、第二課がアメリカ、第三課がそれ以外の地域を担当し、さらに総務課が置かれた。1938(昭和13)年7月1日に通商局は機能系二課、地域系四課の六課体制に再編された。機能系の第一課は通商航海に関する一般的政策及び制度、第二課が商務、商報、博覧会など、地域系の第三課がソ連及びアジア、第四課はソ連以外のヨーロッパ、第五課がアメリカ、第六課がそれ以外の地域を担当した。1942(昭和17)年11月1日、大東亜省の設置によってアジア地域を担当する通商局第三課が大東亜省に移管された。地域系を廃して機能系で再編され、第一課が通商航海の一般政策と戦時経済、第二課が対外通商交渉、第三課が廃止される亜米利加局から再移管された旅券業務及び商事、商報などを担当する三課体制となった。翌1943(昭和18)年11月1日に商工省を廃して軍需省を設置するのにあわせ、外務省通商局も廃止されて戦時経済局に再編された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 井上勇一「外務省経済局の成立に関する一考察」(『法学研究』第76巻11号、2003年)。 |