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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 政務局の名称を持つ局部は1891年(明治24年)に総務局・会計局が解体された際に初めて設置され、1920年(大正9年)10月の勅令第492号によって亜細亜局と欧米局の2つの地域局に分化・解体されていた。その後地域局が地域ごとに政務を担当する時期が続いたが、1936年(昭和11年)には政務局の復活が省内で議論される政務局設置問題が起きている。この問題は有田八郎外相に対し、外務省の少壮官僚のグループであった僚友会が外務省機構の改革や人事刷新を建白したことに端を発した。僚友会は、3地域局に政務が分立する状況は綜合的外交政策の立案及び実施に不都合であり、陸、海軍省の両軍務局との一元的な折衝のためには地域局を政務局に統合する必要があると主張した。しかし、外務省に設置された機構改正委員会は僚友会案を採用せず政務局復活はなされなかった。政務局の復活は、1942年(昭和17年)11月1日の大東亜省設立に伴う外務省官制改革を待つことになる。これは外務省の3つの地域局のうち、大東亜省に統合されなかった欧亜局と亜米利加局を統合し政務局としたものであった。復活した政務局は終戦後の1946年(昭和21年)2月1日に経済局と統合され総務局となった。 |
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参考資料 | 外務省百年史編集委員会編『外務省の百年 下巻』原書房、1969年、56-85頁。戸部良一『外務省革新派―世界新秩序の幻影』中公新書、2010年、101-102頁。「外務省」(馬場明)『国史大辞典3』吉川弘文館、1983年、107-109頁。 |