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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 外務省調査部は、1933年(昭和8年)12月に外相広田弘毅が提出した「外務省所管事項ニ関スル調査及資料整備ノ事務ヲ掌ラシムル為」の調査部設置案に基づき1933年(昭和8年)12月28日に設置された部局である。1933年(昭和8年)に起きた「外務省考査部設置問題」と呼ばれる外務省内での論争が調査部設置のきっかけであった。満洲事変以降、本来対応にあたるべき主要官庁であった外務省は陸軍の方針に追随するばかりで外交事務に十分対処できていなかった。状況を憂慮した外務省革新派の白鳥敏夫らは、外務省にも陸軍参謀本部のような長期的・総合的観点から外交政策を立案・審議する部局、考査部を設置すべきだと主張し、省内の主流派がこれに反対したため省内論争が勃発した。これが外務省考査部設置問題である。白鳥ら革新派の少壮外交官たちは、僚友会という組織を結成して外務省の機構改革を唱え、アジア外交を管轄していた亜細亜局長の谷正之や外務次官の有田八郎らは白鳥らの構想に強く反発した。最終的に1年に渡る議論を経ても、枢密院の反対や政策の立案と執行の分離は二重外交につながるという省内での危惧が高まったため、考査部構想は実現しなかった。代わって、純粋な調査・研究機関としての調査部が設置されたことで論争は幕を閉じた。最終的に、調査部は1942年(昭和17年)11月1日に大東亜省が設置されたことで外務省官制が改正され、調査局となった。 |
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参考資料 | Ref.B13081640000/外務省編『外務省の百年 下巻』原書房、1969年、180-205頁/戸部良一『外務省革新派―世界新秩序の幻影』中公新書、2010年、55-58頁/「外務省考査部設置問題」(執筆者 馬場明)外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会編『日本外交史辞典 新版』山川出版社、1992年、165頁/「外務省調査部」(清水秀子)外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会編『日本外交史辞典 新版』山川出版社、1992年、167‐168頁。 |