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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 1942(昭和17)年3月24日公布の「戦時海運管理令」の規定に従い、同年3月25日の逓信大臣による設立命令に基づいて特殊法人として設立された。船舶運営会は逓信省海務院の代行機関と位置付けられ、海務院が立案計画した戦時海運管理政策に基づき、実際の配船業務を一元的に掌握することとされた。主管は逓信大臣とされ、外地では朝鮮・台湾各総督、南洋・樺太各長官が主管に当てられた。船舶運営会は強制加入団体であり、船舶を所有する者すべてが対象とされたため、日本の全海運業者が船舶運営会に組み込まれることとなり、海運の完全な統制体制が確立された。船舶運営会の総裁・理事長・理事など首脳部は、日本郵船や大阪商船などの大手海運会社の代表が就任し、同年5月1日よりその業務が開始された。船舶運営会が運航する船舶は政府から貸下げられた国家使用船であった。当時、徴用の対象となった民間船舶は陸軍徴用船(A船)・海軍徴用船(B船)・民間船と官庁船(C船)に大別されたが、船舶運営会はC船の配船業務を担当した。しかし、太平洋方面での戦局悪化により、のちにC船に転用される予定であったA船・B船が戻されず、さらにはもともとC船に指定されていた船舶も陸海軍に徴用されるようになり、船舶運営会は機能を失っていった。船舶運営会は、1945(昭和20)年4月19日に最高戦争指導会議において決定された「国家船舶及港湾一元運営実施要綱」に基づき、大本営の下に海運総監部が設置されると同部別室に位置づけられ、広島県宇品に移転して従前のC船の配船業務を継続した。船舶運営会は1945年8月15日の敗戦後も、連合国軍総司令部(GHQ)の下で配船業務を継続することとなり、それに伴い「戦時海運管理令」も暫定的に継続されることとなった。また、船舶運営会は終戦処理の一環として、在外日本人の引揚に関する配船業務(帰還輸送)にも従事した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 寺谷武明『日本海運経営史3 海運業と海軍』日本経済新聞社、1981年、78~89・110~117頁。三和良一『戦後日本海運造船経営史① 占領期の日本海運』日本経済評論社、1992年、88~94頁。「船舶運航体制緊急整備要領」(Ref:A14101166300)。「船舶運営会強化ニ関スル件」(Ref:A14101351300)。 |