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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 1932(昭和7)年4月1日、航空機の設計及び実験、その材料の研究、調査等を担う機関として、海軍航空廠が設立される。廠長は横須賀鎮守府司令長官に隷し、技術に関しては各その所掌事項に応じ海軍航空本部長または海軍艦政本部長の区処を受けた。総務部、化学部、発動機部、兵器部、会計部、医務部、飛行実験部、飛行機部の8部で編成され、後に航空兵器の艤装、航空に関する実験心理学の応用、適性検査の実施といった業務が追加される。1938(昭和13)年4月には材料部が加わった。日中戦争開始後、航空兵器の補給機関として各地に特設航空廠が設置されると、これらと混同を避けるため、1940(昭和15)年4月5日に海軍航空技術廠へ改称された。1941(昭和16)年4月1日、従来の兵器部と新設の爆弾部から構成される支廠が新たに設置された。この時、本廠に置かれた部は、総務部、医務部、会計部、科学部、飛行機部、発動機部、材料部、発着機部、飛行実験部の9部であった。人員として、高等官、判任官ならびに事務・技術・研究・教務嘱託が配された。1945(昭和20)年2月25日に本廠は第一海軍技術廠として改編される。支廠は電波・音波・音響関係の実験研究機関として第二海軍技術廠に改編された。海軍技術廠では研究開発活動を通じて、実際の設計・製作業務を担当する民間企業を支援し、官民一体となって共同研究が展開された。ここで培われた技術は、戦後に新幹線技術の開発につながった。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 『戦史叢書 海軍軍戦備(1)』45-47頁。沢井実『近代日本の研究開発体制』名古屋大学出版会、2012年、263‐278頁。Ref.A15113455100 |