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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 1872 (明治5)年2月28日、海軍省が設置されると、その長として海軍卿が置かれた。初代海軍卿は勝海舟である。1885(明治18)年12月22日、内閣制度が発足するに伴い、海軍卿は海軍大臣となる。初代大臣は西郷従道である。海軍行政の長官であるとともに、国務大臣として天皇を輔弼する機関となり、軍機・軍令に関する事項は、天皇の旨により内閣に下付されるものを除き、あえて閣議に付することなく、天皇の親裁を経て施行しうる権能を与えられた。ただし、上奏については内閣総理大臣に報告することが規定されていた。1886(明治19)年4月22日、海軍条例(勅令第24号)においてはじめて軍政と軍令が分かたれる。軍政とは軍事に関する政務を、軍令とは作戦及び兵力の運用を意味する。それまで海軍大臣のもとに一元化されていた軍令機能は、参謀本部(1878(明治11)年に陸軍省を離れ参謀本部として独立)の所掌となった。具体的には、軍令に関する事項は参謀本部長が上奏して天皇が裁決を下した後に海軍大臣が執り行うものとし、戦時にあたっては天皇が裁決した軍令は直ちに鎮守府司令長官、艦隊司令長官等に下されることとなった。1889(明治22)年3月7日の海軍省官制改正で、海軍大臣は帷幄(作戦をめぐらす本営)に参じて出師・作戦・海防の計画を掌り、海軍参謀部が海軍大臣の下に隷属して軍事の計画を掌ることとなった。1893(明治26)年5月には、海軍参謀部は独立して天皇に直隷する海軍軍令部長の統督する海軍軍令部となり、国防、用兵のことを掌る統帥輔翼機関となる。1940(昭和15)年1月以降の海軍省官制で定められた海軍大臣の任は次の通りである。現役の大、中将たる海軍将校をもって親補され、天皇に直隷し、国務大臣の一員として天皇輔弼の重責に任ずるとともに、海軍軍政を管理し、海軍軍人、軍属を統括して所轄諸部を監督する。海軍省には政務次官及び参与官が置かれ、帝国議会との交渉事項に当たるよう定められたが、その職務は軍機・軍令に関する事項には及ばないことが明らかにされていた。また、海軍大臣に直隷する機関として外部部局があり、海軍大臣はその所掌を統括する役割をも担っていた。外局には、海軍艦政本部、海軍航空本部、海軍施設本部等があり、各本部長は海軍大臣に隷属した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 『戦史叢書 海軍軍戦備(1)』1-39頁。Ref.A15111142300、Ref.A15111729900、Ref.A15112595200 |