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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 参与理事制度の発案は池田成彬日銀総裁の発案によるもので、1937(昭和12)年3月31日、日本銀行条例中改正法律案(法律第34号)が公布され、同年7月1日の施行を受けて参与理事が設けられた。日本銀行に7名以内の参与理事を置き、日銀の業務に参与させることにしたもので、その選任方法としては、金融業もしくは産業に従事し、または学識経験のある者の中から株主総会で選挙した上で、大蔵大臣が任命することになっていた(参与理事は任期2年、理事と同様大蔵大臣の許可があれば他の銀行・会社等の常務に従事できた)。昭和7年に設けられた参与については昭和17年の日本銀行法の公布施行により廃止された。この参与理事制度は、従来の参与が、単に総裁の諮問に応じるだけであったのに対し、理事とともに日銀の業務に積極的に参与させるという点に大きな特色があった。従来の総裁、副総裁、理事で構成される「重役集会」のほかに、これに参与理事を加えて「重役総会」が置かれることになった。ちなみに、この間に参与理事に任命された者は、松本烝治(貴族院議員)、津田信吾(鐘淵紡績株式会社)、大久保利賢(横浜正金銀行頭取)、結城豊太郎(貴族院議員、前大蔵大臣)、各務鎌吉(貴族院議員、東京海上火災保険株式会社会長)、八代則彦(大阪手形交換所委員長・住友銀行会長兼専務取締役・同銀行会長)、森広蔵(東京手形交換所理事長、安田銀行副頭取)、池田成彬(前日本銀行総裁)、中根貞彦(大阪手形交換所委員長・三和銀行頭取)、児玉謙次(横浜正金銀行取締役)、明石照男(東京手形交換所理事長、第一銀行頭取)という顔ぶれからわかるように大部分が金融界出身であったため、参与理事制度は池田の当初の趣旨とはかけ離れたものとなったが、戦後に設置された政策委員会に相通じる性格をもっていた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 『日本銀行百年史 第4巻』、444-446頁。 |