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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 1931(昭和7)年に制定された資本逃避防止法から出発した為替管理は、翌1932(昭和8)年には外国為替管理法の施行と同時に、為替管理部門として外国為替管理部が設置された。当該期の為替管理は、一方では為替相場を放任し為替の低落によって輸出の増進と輸入の阻止を図りながら、他方で国内のインフレーション政策によって生じる為替の極端な暴落をさけ、資本の海外への逃避を防止し、また為替思惑の抑圧を目的とする消極的なものであった。しかしながら戦時体制に即応する財政の急激な膨張と生産力拡充政策は、軍需資材の輸入を急増させたため、為替相場は、1936(昭和11)年の秋以降、下落を続け為替の維持は困難となった。国際収支に適合させながら軍需物資を輸入するためには、緊急物資以外の輸入を抑制せざるを得ないため、為替管理は為替相場維持の段階から、貿易統制の手段として強化された。為替管理が輸入為替許可制にまで拡大し貿易管理に及ぶと、外国為替管理部の管掌事務の範囲ををこえたため、翌1937年(昭和12)年5月、外国為替管理部は為替局に拡張された。為替局は外国為替管理法の施行のみならず、対外金融に関するあらゆる統制、為替市場の統制を管掌した。具体的には、外国為替および信用状の取得および処分に関する事項、金の輸出の取締りに関する事項、外国為替相場の取締に関する事項、外貨証券の取得および処分に関する事項、証券の輸出入に関する事項、前各号に掲げるもののほか、外国為替管理に関する事項を管掌した。また、為替局の下には、外国為替管理委員会および外貨評価委員会が置かれた。1938(昭和13)年には7名の為替局参与が任命され、為替技術の専門家として、為替管理官が置かれた。。1941年2月の為替管理法改正は、戦時編制替えを示すものであった。この改正によって為替・貿易統制は強化され、為替統制は日本銀行と横浜正金銀行が為替局と協力して行うこととなった。 |
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参考資料 | 大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史Ⅱ 財政機関』、1956年、、193-195頁。 |