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解説 | 第二次近衛内閣は、組閣直後の1940(昭和15)年8月1日の「基本国策要綱」において、「国防国家体制」の確立を目標として国防、外交、内政の各分野における「新体制」の樹立を試み、その1つに国民経済の確立(「大東亜共同経済圏」確立、一元的統制機構整備、財政金融統制強化、貿易政策刷新、食糧自給方策、重要産業発展、科学振興、交通施設整備、国土開発計画)、農業の安定発展、国民生活水準の確保等を強調した。この「経済新体制確立要綱」は、これら全般的な新体制確立の諸要綱のうち、経済面での中心をなすものであり、1940(昭和15)年12月7日に至ってようやく閣議決定をみた。公益優先、職分奉公、生産増強、指導者原理、官民協力を基調として、企業体制の強化と経済団体の組織化を規定した。とくに論争となったのが、公益優先の下に企業経営の内容にまで官僚による統制を及ぼそうとした点である。この問題をめぐり、同内閣の小林一三商相は企画院と対立して辞職したが、経済新体制確立要綱は、生産共同体的な経済統制団体構想を取り下げて、指導者原理を導入しながらも民間の自主性を尊重したかたちで、経済団体の新体制を方向づけた。 |
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参考資料 | 「資料解説」xliv頁、中村隆英・原朗編者『現代史資料43 国家総動員1』みすず書房、1970年。「重要産業団体令」(三和良一執筆)『国史大辞典7』、312頁。 |