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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 1871(明治4)年の廃藩置県で、幕藩体制から中央集権体制への切り替えが行われたのを機に、これに応じる内政機構を新設する機運が高まった。1873(明治6)年11月10日、大久保利通の主導で内務省を新設。その長として内務卿を置き、大久保が初代内務卿となった。内政に関してかなり大きな権限を有し、各省随一の有力省となった。1885(明治18)年の内閣制度発足にともない、1886(明治19)年2月、「内務省官制」を制定。その長として内務大臣を置き、地方行政、警察、監獄、土木、衛生、地理、社寺、出版、版権、戸籍、賑恤などを掌り、警視総監、地方官を監督した。初代内務大臣は、山県有朋。内務省は、地方行政や選挙管理の関係から、初期議会では政党と激しく対立した。しかし、政党内閣の時代になると、一転して露骨な政党人事を行った。内務大臣は、その権限の大きさから事実上の副総理格とされ、政権でも大きな役割を担った。戦時体制・統制経済の時代になると、国民精神総動員運動の主導、経済警察の設置や大政翼賛会の指導、部落会・町内会の組織などを通して、内務省は積極的・主体的に係わった。戦後、GHQは内務省を民主化体制に即さない機構制度であるとして、特高警察の廃止、神祇院の廃止など、機構の改廃を迫られた。そして1947(昭和22)年12月31日、内務省は解体された。最後の内務大臣は、木村小左衛門。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「内務省」(執筆者 伊藤隆)『国史大辞典10』吉川弘文館、1989年、518-523頁。秦郁彦編『日本官僚制総合辞典 1868-2000』東京大学出版会、2001年、416-518頁。 |