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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 技術院は、1942(昭和17)年1月31日に勅令41号をもって設置された科学技術行政機関。科学技術に関する国家総力の総合発揮、科学技術の刷新向上、特に航空に関する科学技術の躍進と発明の振興を目的とし、1941(昭和16)年5月27日に決定した科学技術新体制確立要綱に基づいて発足した。総裁は親任官とし、初代総裁は井上匡四郎(1942年1月28日任命、元京都帝国大学理工科大学教授・元鉄道大臣)が就任。2代目の総裁には八木秀次(1944年12月5日任命、元東京工業大学長兼東京工業大学教授)、3代目には多田禮吉(1945年5月21日任命、陸軍中将)が就任した。既存部局の移管ないし統合された事務は、企画院第七部(旧科学部)、商工省総務局所管の工業品企画統一に関する事務、逓信省航空局所管の航空機および航空器材の規格に関する事務、内閣所管科学審議会などであった。1942(昭和17)年4月1日に、逓信省航空局所管中央航空研究所および商工省外局の専売局が内閣に移管され、技術院総裁の監督下(外局とする)に置かれた(勅令第824号)。敗戦後の1945(昭和20)年9月5日に廃止され(勅令第511号)、その機構は内閣調査局・文部省科学教育局・商工省特許標準局に三分された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 伊藤隆監修、百瀬孝著『事典 昭和戦前期の日本 制度と実態』吉川弘文館、1990年、29頁。「技術院」(執筆者 山崎俊雄)『国史大辞典4』、80-81頁。「任技術院総裁 子爵井上匡四郎」(アジ歴Ref:A03023532100)。「任技術院総裁 東京工業大学学長兼東京工業大学教授 八木秀次」(アジ歴Ref:A03023550500)。「任技術院総裁 陸軍中将 多田礼吉」(アジ歴Ref:A03023559300)。 |