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解説 | 1889(明治22)年2月に大日本帝国憲法とともに公布された選挙法で、同憲法に規定された帝国議会(現在の国会に相当)の両院のうち一方である、衆議院の選挙の選挙権、被選挙権、選挙区等を定めた法律(なお、もう一方である貴族院は公選ではなく、皇族、華族(旧公家、旧有力武家、国家功労者等の家柄で構成された身分)、天皇により選任された者)が議員となっていた)。同法によれば、選挙は制限選挙であった。すなわち、選挙権は25歳以上の男子で1年以上選挙区となる府県内に本籍を置き、直接国税を15円以上納めた者に、被選挙権は30歳以上の男子で直接国税を15円以上納めた者にそれぞれ与えられた。第一次世界大戦(1914(大正3)年~1918(大正7)年)の期間中には、ドイツと戦った英米が打ち出した、民主主義国家による専制国家との戦いという大義名分が日本の世論に影響を与えた上、同時期に物価高騰等に伴う社会不安があったことが背景となり、議会の権力増大と普通選挙を求める民主化運動(大正デモクラシー)が発生した。1918年9月の原敬内閣発足により本格化した民主化運動の末、加藤高明内閣時の1925(大正14)年5月に行われた改正により男子普通選挙が実現した。これにより、選挙権、被選挙権ともに納税制限が撤廃された(被選挙権の納税制限はこれに先立つ1900(明治33)年3月に撤廃されている)。終戦に際して日本が受諾したポツダム宣言に盛り込まれた、国政は民主化されるべしとの趣旨及び同年10月にマッカーサーから日本政府に示された、民主化5項目(女性への参政権付与、教育自由化、経済民主化、労組組織化推進、自由抑圧諸法令廃止)を踏まえた、1945(昭和20)年12月の改正により、選挙権が20歳以上の男女に、被選挙権が25歳以上の男女にそれぞれ拡大された。1950(昭和25)年4月、終戦後相次いで成立した他の選挙関連法とともに、公職選挙法として統合された。 |
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参考資料 | 「華族令制定ノ件」(Ref:A03022905500)。「御署名原本・明治二十二年・憲法二月十一日・大日本帝国憲法」(Ref:A03020029600)。「華族制度」(執筆者 大久保 利謙)『国史大辞典 3』吉川弘文館、1983年、335~336頁。「衆議院」(執筆者 大久保 利謙)『国史大辞典 7』吉川弘文館、1986年、257~259頁。「衆議院議員選挙法」(執筆者 杣 正夫)『国史大辞典 7』吉川弘文館、1986年、259~260頁。安田充編著、荒川敦編著「逐条解説 公職選挙法(上)」ぎょうせい、2009年1月、12~23頁。寺崎修編著「近代日本の政治」法律文化社、2006年4月、127~137頁。藤岡進「日本国憲法と政治」大学教育出版、2003年11月、13頁。 |