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解説 | 大日本帝国憲法下の上院である貴族院議員の構成及び資格、議決事項等を内容とし、1889(明治22)年2月に公布された勅令。貴族院議員は、成年皇族、25歳以上の公爵及び侯爵(旧公家、旧有力武家、国家功労者等の家柄で構成された華族の5ランクのうち、上位2ランク)、25歳以上の伯爵、子爵、男爵の中から互選で選ばれた者、30歳以上の国家功労者または学識者の中から特に天皇に選ばれた者、30歳以上の高額直接国税納税者から互選され、天皇により任命された者から選ばれ、華族議員中心の構成であった。第一次世界大戦、及び同時期における物価高騰等に伴う社会不安を背景に、議会の権力増大と普通選挙を求める民主化運動(大正デモクラシー)が発生した。このとき、貴族院制度の改革を求める世論が高まった。これを受けて、1925(大正14)年5月に貴族院令が改正された。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵議員の年齢を25歳以上から30歳以上に引き上げ、伯爵、子爵、男爵から互選される議員の定員改訂、帝国学士院(1906(明治39)年に学術の発達等を目的とし、学界最高の審議機関として設立された組織で、戦後に日本学士院となった)構成員による互選議員の新設を内容としたが、華族議員中心の議員構成には変化がなかった。1947(昭和22)年5月に日本国憲法が公布されたのに合わせて、内閣官制の廃止等に関する政令が公布され、これによって貴族院令が廃止された。 |
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上位の階層 | |
参考資料 | 「2、『ポツダム』宣言(一九四五.七.二六)」(Ref:A15060447700)。「御署名原本・昭和二十一年・憲法一一月三日・日本国憲法」(Ref: A04017858900)。「内閣官制の廃止等に関する政令」(Ref: A13110851100)。宇野俊一編「立憲政治」有精堂、1975年9月、19頁。西尾林太郎「大正デモクラシーと貴族院改革」成文堂、2016年3月、12~16頁。「貴族院改革問題」(執筆者 坂野 潤治)『国史大辞典 4』吉川弘文館、1984年、101頁。 |