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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 1937(昭和12)年11月の大本営設置後、国務と統帥の総合調整を目的として大本営政府連絡会議が組織された。大本営政府連絡会議は、政府と統帥部の申し合わせによって成立したものであり、法制上の根拠はなく、そこで出された結論を政策として実施するには、閣議による正式な決定が必要とされた。出席者は参謀総長・軍令部長・内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣および関係する閣僚となっていたが、実際は参謀総長・軍令部長ではなく、参謀次長・軍令部次長が出席していた。それに加え、幹事として陸軍省および海軍省の軍務局長、内閣書記官長が出席した。初回の会議は1937年11月24日に開催されたが、1938(昭和13)年1月以降中止され、そのまま休止状態となり、平沼・阿部・米内各内閣では一度も開催されなかった。1940(昭和15)年の第二次近衛内閣で復活したが、その際の名称は大本営政府連絡懇談会であった。太平洋戦争勃発後の1942(昭和17)年12月10日には、初めて御前会議の形式で大本営政府連絡会議が開催され、「当面ノ戦争指導上作戦ト物的国力トノ調整並ニ国力ノ維持増進ニ関スル件」が決定されたが、この会議には参謀総長・軍令部総長(1938年10月6日に軍令部長から改称)も参加した。大本営政府連絡会議は、小磯内閣成立後の1944(昭和19)年8月4日に最高戦争指導会議と改称された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 伊藤隆監修・百瀬孝著『事典 昭和戦前期の日本 制度と実態』吉川弘文館、1990年、15~16頁。森松俊夫『大本営』吉川弘文館、2013年、172~173頁。佐藤元英『御前会議と対外政略1 第一部 昭和天皇御前会議記録文書』原書房、2011年、322~372頁。「当面の戦争指導上作戦と物約国力との調整並に国力の維持増進に関する 御前会議議事録 昭和17年12月10日」Ref:C12120189300。 |