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地域 |
蘭領東インド
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都市名 |
ジャワ島スラバヤ
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解説 |
1943年3月、南方占領域における水路業務の中枢機関として、設立。部長は、海軍少将堀勇五郎。1945年1月、主力艦船のほとんどを失い、「当分の間、南方航路部に定員をおかないこと」が発令された。南方航路部勤務の一般兵員は他部隊に転属し、女子職員は、凌風丸ならびに氷川丸で無事帰還。男子職員および予備士官は、各科ごとに日本への引き揚げを進めたが、敵潜水艦の攻撃を受け、100名近くが死亡。内地帰還の途を絶たれた職員は、現地部隊に仮入隊。戦後、職員の多くは、シンガポール作業隊に参加し、1948年6月上旬、引揚を完了した。
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上位の階層 | |
参考資料 |
山田紀男、羽根井芳夫「随想 南方海軍航路部の創設と終焉」『水路』(日本水路協会)通巻第135号、35巻第3号、2005年、35~40頁。
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