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地域 |
蘭領東インド
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都市名 |
ビアク島
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解説 |
第28特別根拠地隊は、1944年5月から8月にかけて行われたビアク島の戦いのため、第18警備隊(マノクワリ)、第19警備隊(ビアク、3月5日編成)、第91警備隊(サルミ、4月1日編成)を合わせて5月1日付けで編成された部隊である。同島の警備と飛行場建設に従事した。司令官は第14連合航空戦隊司令官を務めた千田貞敏。千田の南西方面艦隊司令部に対する艦艇による作戦協力要請により、「渾作戦」が発令された。同作戦は1次、2次、3次全て中止され、同艦隊よる協力を得られないまま米軍の来攻に対応することとなった。第28特別根拠地隊はビアク島西洞窟に司令部を設置。5月19日、千田はビアク島防備の作戦命令を下達。27日7時、米軍は上陸を開始。戦況は当初日本軍が有利となるも次第に逆転し、6月22日、千田は西洞窟を放棄。この時点で第28根拠地隊は実質的に壊滅していたと思われる。24日、部隊の残存戦力はツホールに移動。26日、第4南遣艦隊が生存者救出のため司令部に潜水艦隊の派遣を要請。これにより伊165潜が7月中旬以降にスラバヤを出港することとなった。7月6日、コリムに到着。この時のビアク方面島兵力は1000余名であった。8月20日、米軍はビアク作戦の終結を発表。その後日本軍は連合軍および現地ゲリラ部隊の掃蕩と食糧難により逐次消耗。終戦時の戦力は陸軍部隊のみ(86名)とされるため、第28根拠地隊はこの時点で全滅していると思われる。千田は12月25日、戦死。なお、伊165潜は8月12日にアンボンを出港するも連合軍の哨戒艇の攻撃を受けスラバヤへ修理に向かった。このため南西方面艦隊司令部は8月24日に救出作戦を中止。
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参考資料 |
『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦』389、406~417頁、付録第一。
戦史叢書 豪北方面陸軍作戦 573~581頁
福川秀樹『日本陸海軍人名事典』芙蓉書房出版、1999年12月、98頁
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