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地域 |
蘭領東インド
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都市名 |
ボルネオ島バリックパパン
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解説 |
第22特別根拠地隊は、1942年3月10日、第2根拠地隊を改編して設立された。1942年4月10日の戦時編制で南西方面艦隊第2南遣艦隊隷下となる。1945年1月、南方軍はボルネオの配備の重点を西海岸に移した。これに伴い第22特別根拠地隊は陸軍半個大隊とともにバリクパパンの防衛に従事することとなった。7月1日、連合国軍による太平洋戦争中最後の大規模上陸作戦とも言われるバリクパパン上陸作戦が実施され、これに対応した。第22特別根拠地隊は、当初水際で上陸軍を邀撃する方針であったがも6月中旬ころ密林地帯で邀撃することに変更。バリクパパンは7月5日連合国軍により制圧された。その後北上する連合国軍に対して夜間の白兵戦などゲリラ的に抵抗。このころ、昭和天皇より「御嘉祥」を受く。終戦時の司令官は、軽巡洋艦天龍、装甲巡洋艦出雲、重巡洋艦加古、同足柄、軽巡洋艦夕張の艦長を務めた海軍中将鎌田道章。サマリンダへの移動中に終戦を迎えた。その後部隊は多方面からの者とともにバリクパパンおよびサマリンダに集結。総勢約12500名となった。鎌田は1947年10月18日、戦犯指名されバリクパパンで刑死。
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参考資料 |
『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦』6~23、533~535、580頁
福川秀樹『日本陸海軍人名事典』芙蓉書房出版、1999年12月、148頁
厚生省援護局『旧海軍恩給年加算調書』(8)昭和60年3月、187頁
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