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地域 |
南太平洋諸島
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都市名 |
東部ニューギニア、クッシャム
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解説 |
第51師団は、香港攻略戦後、1942年11月に第18軍に編入され、ラバウルに進出。1943年3月にニューギニアのラエへ増派するための輸送中に攻撃を受け、多くの将兵が戦死する(いわゆる「ダンピールの悲劇」)。東部ニューギニアでは、制空権を喪失し、補給も断たれ、自活も困難な環境の中で転戦した。戦死や戦傷死に加えて、マラリアや栄養失調・飢餓による戦病死のため、終戦時は4,319名まで人員が損耗。終戦時の師団長は陸軍中将中野英光。終戦後は、ウエワクに集結。1946年1月1月下旬に空母鳳翔に乗船して出港。途中ラバウルに寄港し、同年2月2日に浦賀に着き、5日に復員した。
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上位の階層 | |
参考資料 |
『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦〈5〉アイタペ・プリアカ・ラバウル』、420~422頁。『東部ニューギニヤに於ける第五十一師団の戦闘記録(陸軍中将中野英光)』(防衛省防衛研究所所蔵)
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