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地域 |
台湾
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都市名 |
台北
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解説 |
1944年6月、東京で編成完結。同月、台北に進駐し、台湾軍司令官(後、第10方面軍司令官)の隷下となった。7月、作戦に関して連合艦隊司令長官の指揮下に入ることとされ、宜蘭・屏東・花蓮港を根拠飛行場とし、台湾近海を通過する輸送船団の掩護と、フィリピン島に転進する航空部隊の整備その他の援助に任じた。10月、米機動部隊による台湾への大規模な空襲を邀撃。ただし飛行師団主力は捷一号作戦に参加せず、また同月、連合艦隊司令長官の作戦指揮を解かれた。1945年3月、米軍が沖縄に来襲し、天号航空作戦に参加。第9飛行団を台湾宜蘭及び宮古島以西の南西諸島、第22飛行団を台湾南東部に展開。第6航空軍や連合艦隊と協同し、のべ293機の特攻機を米機動艦隊に向け出撃させた。7月、台湾以南の南方戦域にある使用可能飛行部隊を台湾に集結し、本土作戦に協力すべく準備を始めたが、そのまま終戦。9月、生存者は所在の地点で武装解除された後、米軍収容所に入った。1946年2~3月、復員のため基隆を出発し、鹿児島・大竹・田辺に上陸。終戦時の部隊長は、山本健児中将。
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上位の階層 | |
参考資料 |
『沖縄方面陸軍作戦』p.94, p193、C11110404600、C11110404700、C11110003000
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