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地域 |
遼東半島
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都市名 |
旅順
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解説 |
1904年8月24日内令第342号「旅順口鎮守府条例」に基づき、1905年1月に旅順港を占領すると旅順口鎮守府が設置された。1906年9月25日勅令第248号「旅順鎮守府条例」に基づき、旅順鎮守府と改称。1914年3月14日軍令海第2号「旅順要港部条例」に基づき、旅順要港部となる。1922年12月1日旅順要港部は廃止となり、旅順防備隊が設置された。1933年4月20日旅順要港部が再設置され、1941年11月12日要港部を警備府とするが、1942年1月15日以降は定員を置かず、2月旅順警備府は閉鎖された。これにより関東州の防空区域は鎮海警備府が担当することになった。1月15日旅順警備府に代わり現地で編成された旅順特別根拠地隊は旅順港の警備のほか、満洲国海上警察隊を協力部隊として対潜警備や軍需品の輸送などにあたった。最後の司令官は海軍中将小林謙五。1945年8月21日、ソ連軍が侵入。22日、ソ連軍司令官イワノフ中将が三澗堡の飛行場に到着、旅順港接収委員長として小林中将との間に無条件降伏文書調印式をおこなった。司令官は10月にソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留中の1948年4月に戦病死した。
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上位の階層 | |
参考資料 |
『官報』第4454号、1941年11月12日、323頁
厚生省援護局『旧海軍恩給年加算調書(8)艦隊、戦隊司令部、陸上部隊、各庁、その他』1985年3月改版、191頁
秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第二版、東京大学出版会、2005年8月、189頁、450~452頁
春田哲吉『日本の海外植民地統治の終焉』原書房、1999年9月、176-181頁
アジ歴Ref:A03032088200、1~43画像目。A03032088400、1~53画像目。A03010049500、1~7画像目。
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