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地域 |
朝鮮半島
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都市名 |
咸興
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解説 |
兵団文字符は「衣」。第59師団司令部、歩兵第53旅団司令部、独立歩兵第41、42、43、44大隊、歩兵第54旅団司令部、独立歩兵第45、109、110、111大隊、工兵隊、通信隊、追撃砲隊、輜重隊、野戦病院、病馬廠で編成。1945年1月時点で、兵科・各部を含み約1万3千800名を数えた。1942年2月に臨時編成され、独立混成第10旅団を基幹として、山東省で4月7日~10日に編成完了した。司令部は1945年7月に咸興着後、警備にあたり、定平付近の陣地構築をはじめた。8月21日に咸興で武装解除(一部は富坪、定平、五老里、興上里で武装解除)。興南に移動し、主力は作業12大隊、一部は作業12大隊へ編入(一部は富坪で作業大隊編成)。9~10月にかけて興南港出発、行き先はナホトカ、ポシェト、ウラジオストーク。工兵隊の一部はソフガワニへ。野戦病院の一部は、定平や興南の収容所で医療に従事した後、1946年7月上旬までにソ連入国。終戦時の師団長は藤田茂(中将)。
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上位の階層 | |
参考資料 |
1.C12121013200、「第34軍編制人員表(支那漢ロ)(防衛省防衛研究所)」
2.C12122501800、「満州方面部隊略歴(一)(防衛省防衛研究所)」
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