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地域 |
中国東北部
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都市名 |
ハイラル
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解説 |
第119師団は、1946年10月28日、第8国境守備隊第23師団残置人員を基幹として編成され、同地の警備に従事した。1945年7月5日、主力は開嶺に移動。8月9日、日ソ開戦。16日、停戦に伴いブヘトに移動。9月15日、チチハルで作業第3大隊に編入。18日、満洲里経由で入ソ。司令部主力は第30、第52地区に収用。ハイラル残留部隊は1945年8月18日同地にて武装解除。11月15日、ハイラル第2作業大隊に編入。25日満洲里経由で入ソ。主力は第526地区に収用。また師団直轄の三?監視哨の陸軍見習士官橋本宗以下20名は1945年8月9日ソ軍の砲撃・包囲を受く。状況は不明であるが全員戦死したものと推測される。四?監視哨の陸軍軍曹植木重春以下20名は1945年8月9日撤退を開始。黒山頭付近で稲木以下7名とその他の2組に分かれる。稲木以下7名は山中を迂回して8月12日拉布大仁部落付近で根河を渡河。13日、渡河地点でソ軍に捕縛されハイラルに送られた。11月15日、ハイラル第12作業大隊に編入。11月25日、満洲里経由で入ソ。その他の組の者は稲木以下7名と別れて間もなくソ軍の攻撃を受け、そのほとんどが戦死または生死不明となった。終戦時の師団長は陸軍中将塩沢清宣。その後帰国し1968年3月日本郷友連盟会長。7月没。
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上位の階層 | |
参考資料 |
外山操『陸海軍将官人事総覧』陸軍篇、芙蓉書房、1981年、351頁
Rアジ歴Ref:C12122428600、6~8画像目。アジ歴Ref:C12121203800、2画像目。
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