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地域 |
沖縄
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都市名 |
宮古島
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解説 |
トラック島空襲以後、南西諸島の防備強化が着手され、1944年4月、沖縄方面根拠地隊宮古派遣隊が編成。9月、宮古島警備隊となった。同根拠地隊は第32軍の指揮を受け、宮古島警備隊は先島集団(第28師団)の指揮を受けることになった。5月、沖縄本島の根拠地隊から高雄警備府の所属となり、同根拠地隊は7月に解隊となった。宮古島の与那覇港に面し、海軍飛行場を含む海岸地区を守備。空襲や艦砲射撃による宮古島の海軍戦死者は約150名であった。8月25日、対敵作戦任務が解除され、長期駐留のための現地自活態勢へと入った。宮古地区の海軍兵員数は2,500名であった。なお、宮古島警備隊は、石垣島の陸海軍部隊の食糧が12月中旬以降持たないため、陸軍次官と第28師団長に対し、11月中に宮古島、大東島に向かう予定の艦船全部を石垣島に差し向けるよう要請した。その結果、石垣島の帰還輸送が優先された。宮古島警備隊の復員は主に米船で行われ、入院患者は別船で行われた。終戦時の部隊長は、村尾重二大佐。
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上位の階層 | |
参考資料 |
C11110383400、『沖縄方面海軍作戦』、太平洋戦争記録先島群島作戦(宮古島編)http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0304008
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