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地域 |
沖縄
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都市名 |
石垣島
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解説 |
十号作戦の準備に基づき、宮古島・石垣島に配備。1944年5月、第32軍隷下となり、宮古島及び石垣島の基地設定を命じられ、宮崎武之少将が先島守備隊長となった。6月下旬、独立混成第44旅団、及び独立混成第45旅団の主力は鹿児島を出帆。途中、雷撃を受けて4600名中3700名を失ったため、7~9月にかけ、基幹要員と現地召集者を加えて再編された。先島及び尖閣列島の防衛、ならびに宮古島・石垣島の飛行場設定に任じた。7月、宮古島を根拠地とする第28師団の指揮下に入り、八重山群島の防衛を任され、8月に師団長が石垣島に渡った。なお、歩兵7個大隊のうち2個大隊は、第9師団の台湾転用の穴埋めとして沖縄本島に配備され、第32軍と運命を共にした。1945年5月、第28師団の指揮下(先島集団)を脱し、第10方面軍直轄となり、航空部隊を除く石垣地区所在部隊を指揮した。終戦時の石垣島地区の陸軍関係者は5,412名。旅団の戦死者は100名、戦病死者は150名で、大半がマラリアであった。マラリアには住民の大部分と、軍の約半数が罹患した。部隊は戦災復旧に従事しつつ現地自活。現地徴収の将兵は9月1日召集解除。11月から1946年1月にかけて、浦賀・横浜・鹿児島に上陸し復員完結。石垣島で本土に復員する人員は、石垣島駐留の諸部隊や海軍部隊を含め、4,299名で、外に沖縄帰還者が438名いた。旅団長は宮崎武之少将。
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上位の階層 | |
参考資料 |
C11110015600、C15010967400、『沖縄方面陸軍作戦』、太平洋戦争記録先島群島作戦(宮古島編)http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0304008、
独立混成第45旅団http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0305133、先島群島並に大東島に於ける現地の実情(湾武7対参謀長)http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0905031、C12122494900
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