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地域 |
沖縄
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都市名 |
沖縄本島
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解説 |
十号作戦の準備に基づき、1944年5月、第32軍隷下部隊として編成。6月下旬、鹿児島より輸送中の旅団主力は米潜水艦の雷撃を受け海没。3分の1に満たない残存者で、仮編宇土部隊を編制。8月下旬に補充人員が到着し、9月に現地召集者を加え編成を完結した。当初、首里附近に駐屯したが、7月に第9師団・第24師団が増強され嘉手納へ移動、次いで8月に第62師団が増強され名護へ移動し、国頭支隊となった。しかし、米軍のレイテ島上陸の影響で第9師団が台湾へ転身し、旅団主力は12月に中頭地区へ移動。中頭守備部隊となり、さらに一部の部隊を伊江島に移した。このように、作戦準備期間中に度重なる移動と、訓練不充分の配属将兵での戦いを強いられた。米軍の沖縄上陸後、島尻東部で水際作戦を展開。米軍の上陸を阻止した。また主力は北正面に前進し、第24師団・第62師団と協同。5月4日の総攻撃では、首里より西方面を担当した。その後、島尻南端に転進、司令部は摩文仁に至った。6月22日、軍司令官以下の幕僚が自決後、旅団長は国頭に残置した遊撃隊を指揮すべく決意し斬込隊を編成。逐次、国頭に集結するよう命令後、司令部の編成を解いた。終戦後、屋嘉などの米軍収容所に入所。現地復員、及び内地帰還者は、おおむね1946年10月までに帰国した。旅団長は鈴木繁二少将。
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上位の階層 | |
参考資料 |
C11110130700、C12122499000、『沖縄方面陸軍作戦』、C11110333400
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