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地域 |
沖縄
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都市名 |
沖縄本島
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解説 |
1939年8月、哈爾賓で編成。12月、国境警備師団として東安省東安に移駐し、第5軍隷下に入った。その後、1944年7月に動員下令され、北満洲に集結。島嶼作戦訓練の実施を命じられた。内地へ移動後、沖縄本島防衛の任を受け、8月、沖縄に移駐。嘉手納に司令部を開設し、中頭郡において陣地構築・教育訓練に従事した。しかし、第9師団の台湾への転出が決定し、島尻郡西部の防衛任務を引き継ぐため、12月に司令部を與座へと移駐した。1945年4月1日、沖縄本島に米軍上陸。14日になり、第62師団の右翼正面に進出した。5月4日、攻勢の主力部隊として首里北方地区の総攻撃に参加。一部成功したが、兵員の損耗が激しく、攻勢作戦は中止。以後は持久態勢に転移し、27日、島尻への転進命令を受けた。6月22日、司令部と各部隊の通信連絡が途絶。30日に至り、師団長の雨宮巽中将以下、幕僚部長等は自決。組織的な戦闘は終了した。終戦後、生存者は米軍収容所に入った後、各個に復員した。なお、歩兵第32連隊本部、及び第1大隊・第2大隊は健在で、部隊として武装解除を受けた。
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上位の階層 | |
参考資料 |
C11110042200、C11110044100
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