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解説 |
1854年の日露和親条約により、日露国境はウルップ水道と定められ、択捉島以南が日本領となった。その後1875年の樺太・千島交換条約の締結により、得撫島以北の千島列島全てが日本領となった。北海道庁の根室支庁に属した。1945年8月~9月にかけてソ連軍の侵攻により占領され、日本はサンフランシスコ平和条約で千島列島の領有権を放棄したが、法的には帰属が確定されておらず、いわゆる北方領土問題として現在も残っている。樺太は日露和親条約により日露両国の雑居地と定められたが、樺太・千島交換条約によりロシア領となった。1905年の日露戦争で日本軍は樺太全島を占領し、ポーツマス条約で北緯50度以南の南樺太を領有した。1907年に樺太庁が置かれて南樺太を統治した。1945年8月にソ連軍が侵攻・占領して、日本はサンフランシスコ平和条約で南樺太の領有権を放棄した。
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上位の階層 |
昭和(終戦期) > 終戦時の部隊配置(本州・九州・四国除く) > 千島列島・樺太
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下位の階層 | |
参考資料 |
『国史大辞典』9巻、1988年、404~405頁『国史大辞典』3巻、1983年、661頁
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