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地域 |
朝鮮
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都市名 |
京城
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解説 |
終戦後、朝鮮に残留している陸軍と、参謀本部及び南朝鮮に進駐した米軍との連絡等を担当した機関。第17方面軍参謀副長兼朝鮮軍管区参謀副長菅井斌麿少将が、米軍の希望により参謀大桃義治中佐以下54名を統率して、京城に残って米軍との連絡に当たった。所在地は京城の料亭江戸川から、1945年9月14日から三坂ホテルへ移動。日本軍連絡部の職員は1945年10月中旬には180名になる。その任務は、米軍との交渉、日本側機関との連絡、北朝鮮から脱出した軍人軍属およびその家族の収容と送還、一般日本人の保護、世話会の援助など。日本軍の武装解除と送還についての示達連絡も、多く日本軍連絡部を通じて行われた。進駐した米軍の下で武装解除された日本軍の送還は、1945年9月に始まり、3か月の間にそのほとんどが終了した。日本連絡部も同年12月22日に引揚。
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上位の階層 | |
参考資料 |
森田芳夫『朝鮮終戦の記録』巖南堂書店、1964年、338~339・343~349頁
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