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地域 |
中国
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都市名 |
海南島
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解説 |
1945年9月13日、国民党陸軍総司令部は「誠字第3号」訓令を下達、日本の捕虜や居留民に関する規定を提示し、彼らは指定の地区へ集結することが決まった。集中地区の指定は、南京では新編成された第6軍軍長廖耀湘が、その他受降地区では、各受降指揮官が行うことになった。
同時に国民党陸軍総司令部は「戦俘管理計画綱要草案」を公布。各戦区の司令長官部(方面軍司令部)には戦俘管理処が設置され、中国陸軍総司令部戦俘管理委員会の指導の下、日本軍捕虜を管理した。管理処の目的は、日本軍の軍事記録や重要文献の獲得、専門的人材の調査と登録、戦犯や拘留が必要な人物の逮捕、日本側の各種調査とされた。これにより各地に武装解除された旧日本兵の収容所が設置された。第2方面軍(司令官張発奎)の管下にあった瓊州地区には、1946年「瓊州戦俘管理所〔処〕」が設置され、楡亜に分所が置かれた。瓊州戦俘管理所楡亜分所は、楡亜日本官民善後連絡部と外部との電報の取り次ぎを行うなどした。
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上位の階層 | |
参考資料 |
張志坤・関亜新『葫蘆島日僑遣返的調査与研究』社会科学文献出版社、 2010年、192~194頁/中国第二歴史?案館『中国戦区受降紀実』江蘇人民出版社、2005年、134~145頁
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