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地域 |
中国
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都市名 |
長沙
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解説 |
日本投降後の1945年9月10日、支那派遣軍総司令部は中国戦区日本官兵善後総連絡部に、各地の方面軍・軍司令部は各地連絡部と改称され、長衡岳地区には「長衡岳地区日本官兵善後連絡部」が設置された。各地連絡部は総連絡部の指導を受けると同時に、中国側戦区長官の命令を受け、終戦業務を処理した。当地区の降伏調印式は1945年9月15日に行われ、武装開城は9月21日に開始され、10月18日までに終了。受降主官は第4方面軍司令官王耀武、日本側代表投降官は坂西一良中将。この地区に集結した部隊・人員は、第20軍司令部、第64・第68・第116師団、独立混成第17・第81・第82旅団、第2独立警備隊その他で約70180名であった。
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上位の階層 | |
参考資料 |
臼井勝美・稲葉正夫編『現代史資料38 太平洋戦争4』みすず書房、1972年、354・384頁/防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍<2> 終戦まで』朝雲新聞社、1973年、581頁/中国第二歴史?案館編『中国戦区受降紀実』江蘇人民出版社、2005年、135頁
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