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地域 |
中国
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都市名 |
広州
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解説 |
1945年9月10日、支那派遣軍総司令部は中国戦区日本官兵善後総連絡部に、各地の方面軍・軍司令部は各地連絡部と改称され、広州地区には「廣州地区日本官兵善後連絡部」が設置された。各地連絡部は総連絡部の指導を受けると同時に、中国側戦区長官の命令を受け、終戦業務を処理した。この地区の受降主官は中国戦区第2方面軍司令官張発奎で、雷州半島と海南島地区を接収。日本側の代表投降官は田中久一。廣州地区日本官兵善後連絡部の連絡部部長にも、田中が就任した。広州においては1945年9月16日に降伏調印式が行われ、10月20日には主力の武装解除を終了した。この地に集結した部隊は、第23軍司令部、第104・第129・第130師団、独立混成第23旅団、独立歩兵第8旅団その他で、その人員は約83890名、居留民約6910名。
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上位の階層 | |
参考資料 |
臼井勝美・稲葉正夫編『現代史資料38 太平洋戦争4』みすず書房、1972年、354・384・417頁/防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍<2> 終戦まで』朝雲新聞社、1973年、581~582頁/アジ歴Ref:C08010789500、1画像目
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