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地域 |
中国
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都市名 |
南京
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解説 |
終戦後、支那派遣軍総司令部を改称して成立した組織で、中国戦区の戦後処理を担当した。中国戦区は1945年8月26日、中国陸軍総司令官何応欽の命令により、16の受降地区に区分され(「受降」は敵方の投降を受け入れるの意)、それぞれの受降地区には受降主官が任命された。1945年9月9日、中国戦区の日本軍は南京において正式に中国に投降。翌9月10日、中国陸軍総司令官何応欽と支那派遣軍総司令官岡村寧次の会談において、支那派遣軍総司令部は中国戦区日本官兵善後総連絡部に改称された。これに伴い各地の方面軍・軍司令部も各地連絡部と改称され、総連絡部の統制下に置かれた。総連絡部・各地連絡部は旧来の指揮系統や通信・事務体系を保ちつつ、何応欽総司令官や各地受降主官の命令を伝達・執行し、居留民の集中・引揚を含む諸般の終戦業務を処理した。1946年7月には、旧支那派遣軍総司令部の帰還が完了するが、南京・上海・北平・太原・青島・漢口・広東・台北に連絡班が残置され、戦犯容疑の拘留者や強制留用者の対処等にあたった。
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参考資料 |
臼井勝美・稲葉正夫編『現代史資料38 太平洋戦争4』みすず書房、1972年、354・384・488頁/中国第二歴史?案館編『中国戦区受降紀実』江蘇人民出版社、2005年、131~135頁
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