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はい、本当です。ペットの毛や皮、肉まで供出させられました。
戦時下、不足する物資を補うため、金属や宝石、ゴムといった資源が次々と供出させられていきました。
動物の毛や皮革も例外ではなく、牛や馬、羊、鯨などとともに犬の毛皮も利用されていたのです。
当初は野犬の毛皮に限られていましたが、戦争末期にはペットの犬や兎、猫にいたるまで供出させられて、毛皮や食肉として利用されることになりました。
もともと動物の毛や皮革は重要な資源として利用されており、軍需用としても馬や牛、豚、羊など多くの動物の毛皮が利用されていました。
しかし、毛皮類は平時でも国産原料だけでは需要量をまかないきれず、その多くを輸入に頼っていました。
戦争が始まり、さまざまな物資が統制されるようになると毛皮も例外ではなく、1938(昭和13)年に「皮革使用制限規則」(Ref.A05032337100)や「皮革配給統制規則」(Ref.A16110326400)などが定められました。
翌年には犬の皮も水牛や山羊、鹿などとともに犬の皮も統制の対象となり(Ref.A16110344600)、国家の管理する資源の一つとなったのです。
この頃、戦争の長期化から食糧不足が目立つようになり、節米運動が起こります。
人間の食糧が不足するのですから、ペットの食糧も不足するのは当然です。
ペットに食糧をまわすなら、人間に寄越せと言われるようになり、議会でも軍用犬以外の犬猫を処分してしまえという主張がありました(「第75回帝国議会衆議院予算委員会議録」北昤吉議員発言)。
毛皮の動員といえば、昭和の初めから学校や家庭で兎が多く飼われるようになりました。
兎は成長が早く、飼育も簡単であり、毛皮は兵隊用の防寒着として、肉は食糧として利用価値が高いため、飼うことが奨励されたのです(画像1)。
政府の情報誌である『写真週報』にも特集が何度も組まれています(134号「兎の皮総動員」Ref.A06031072900、188号「兎は大切な軍需品」Ref.A06031078300)。
しかし、それでも皮革は不足し、1941(昭和16)年になると農林省畜産課が野犬毛皮の統制をはじめます。
野犬対策は狂犬病予防としても進められ、地方自治体が中心となって野犬の捕獲に力を入れていました。
当時、狂犬病は不治の病として恐れられ、野犬の買上げや捕獲が自治体や警察の業務としておこなわれていたのです。
1943(昭和18)年になると、さらに皮革が不足するようになります。
これは家畜の減少だけでなく、生産・加工業者が出征して減少していること、陸軍と海軍とで皮革の取り合いをしていること、公定買取価格が安いため闇市場に流失してしまうことなどがあげられます。
そのため、野犬や野良猫だけでなく、ネズミやイタチ、はてはアザラシやオットセイなど海獣の毛皮も利用されるようになります。
また、ヌートリアと呼ばれる大型の齧歯類が毛皮増産のために海外から移入され養育されましたが、戦後になると需要がなくなり放逐されました。逃げ出した個体が野生化して生態系を破壊する外来種として現在も問題となっています。
さて、全国的な皮革不足のなか、1944(昭和19)年に軍需省化学局長と厚生省衛生局長の連名による通牒が全国の地方長官(知事)へ出され、通達された「犬原皮増産確保並狂犬病根絶対策要綱」に基づいて、軍用犬・警察犬や登録されている猟犬、天然記念物の指定をうけた日本犬を除いた畜犬は、献納もしくは供出買上することになりました。[西田秀子2016]
これにより地方自治体では畜犬(=飼い犬)を供出させる「献納運動」を展開し、東京都では回覧板で飼い犬の献納を勇ましく呼びかけました(画像2)。
この時期になると食糧不足に加え、空襲も激しくなっており、飼い犬が野良化すること、さらには狂犬病が流行ることを恐れた当局が、人びとに半ば強制的にペットを献納させ、次々に撲殺・薬殺していきました。
一部は毛皮や食肉に加工されたようですが、多くは利用されること無く廃棄されたと言われています。
回覧板に「決戦下犬は重要な軍需品として立派な御役に立ちます」と書かれておりましたが、実際は犬死だったと言わざるをえません。
人間にとって辛い時代はペットにとっても辛い時代だったのです。