Top Page > Japan's Wartime and Postwar Periods Recorded > Search by Q&A > Life style Q&A
戦前の日本語の表記は、漢字は旧字体、公文書の仮名はカタカナで、歴史的仮名遣い(例えば「言ふ」や「ウヰスキー」など)を用いており、横書きの場合は右から左に書くという右横書きで書くのが一般的でした。
それがいかにして現在のように変わったのでしょうか?ここでは特に漢字そして横書きについてみてゆきましょう。
まずこれらの日本語表記に関する標準を規定していたのは、主に文部省の創設した諮問機関でした。
1902年3月24日に「国語調査委員会」(Ref.A03020526400)が創設され、1913年6月13日に廃止されるまで国語政策に関する様々な諮問を行いました。
その後、1921年6月24日に「臨時国語調査会」(Ref.A03021335100)が創設され、これが1934年12月21日に「国語審議会」(Ref.A03021960900)へと改組された後、以後66年以上にわたりこの国語審議会が日本語表記に関する標準化を推進してきました。
最初に漢字についてたどってみましょう。
漢字の表記はあまりにも多くて難解であるため、なるべく簡易なものにすべきとする「漢字制限論」が明治以降大きな流れとして存在していました。
そのような中で、国家による最初の標準的な漢字の選定となったのが、臨時国語調査会による「常用漢字」の選定です(1923年5月9日「常用漢字表」1963字、1931年5月3日「修正常用漢字表」1858字)。
常用漢字とは、「もっとも普通に使用されていてこれだけで国民生活上大体さしつかえないもの」として選定されたものでした。
その選定の際に、それまで様々な異体字が混在してきた漢字の字体を統一するため、標準的な字体として依拠したのが中国の『康煕字典』でした。
そのため、『康煕字典』で表記されている字体が、いわゆる旧字体と呼ばれるものです。
それと同時に、あまりに複雑な字体に取って代わって簡易な字体を正式な字体としたものを略字あるいは簡易字体として選定し(1923年5月12日「略字表」154字、1931年5月3日「修正常用漢字表」内簡易字体55字)(例えば澤→沢や戀→恋など)、これが後に新字体のもととなってゆきます。
その後戦局が進むにつれて、1942年に入り国語審議会は、それまでの常用漢字に代わり「標準漢字」を選定しました。
・1942年6月17日国語審議会「標準漢字表」2528字(Ref.A15060217300)
・1942年12月4日文部省「修正標準漢字表」2669字(Ref.A15060217300)
標準漢字とは、それまでの漢字の濫用による不便を排するべくこれを整理統合し、各官庁や一般社会で使用すべき漢字の標準を示したもので、「時運ノ要求ニ應ジテ」選定したものでした。
ここでいう「時運ノ要求」とは、例えば皇室典範や歴代天皇の追号、詔勅、軍人への勅諭で使われるべき漢字などが含まれています。
また他方で、簡易字体についても、特に一般で使用すべき簡易字体78字や、一般に使用しても構わない簡易字体64字なども標準漢字として選定しており、後に整理された末に簡易字体80字が標準漢字に組み込まれています。
画像1 国語審議会作成「標準漢字表」(Ref.A15060217300)
戦後に入ると漢字を取り巻く環境は大きく変わりました。
1946年から48年にかけて、国語審議会は戦前までの標準漢字に代わり、新たに「当用漢字」を選定・答申しました。
・1946年11月5日「当用漢字表」1850字(Ref.A13110720800)
・1948年6月1日「当用漢字字体表」(Ref.A13111267300)
当用漢字とは、法令や公文書・新聞など一般社会で使用する漢字の範囲を示したもので、国民生活の上であまり無理がなく行われることを目安として選んだものでした。
この中には簡易字体131字も含まれており、これらを含めた当用漢字がいわゆる新字体と呼ばれるようになりました。
以後、1981年に国語審議会が常用漢字1945字を選定するまでの約35年間、この当用漢字は戦後標準的に使われる字体として定着してゆきます。
それでは次に、横書き表記はどのように変わっていったのでしょうか?
もともと横書き表記については、戦前に右から左に書く「右横書き」で書くという統一的な決まりがあったわけではなく、戦前にも現代のように左から右に書く「左横書き」で書かれたものも数多く存在しました。
すでに明治時代から、欧文や数字・記号などと併記するものは右横書きよりも左横書きのものも刊行されており、例えば、楽譜、数学書・算術書、簿記などの刊行物は、明治時代でも左横書きを使うものが見受けられました。
大正時代に入ると、鉄道切符、電話帳、時刻表なども縦書きから左横書きのものが増え、意外なことに新聞の見出しや記事本文にも、新聞社(高級紙・中間層向け)やジャンル(海外記事・スポーツ欄・放送欄・天気予報など)によっては左横書きのものが見られるようになりました。
また昭和に入っても、当時最も国民的に人気のあった百科事典『国民百科大辞典』が全編左横書きで出版されたり、また海外日本植民地における日本語教育の刊行物などは、左横書きに慣れた現地住民のために縦書きのみならず左横書きで書かれているものもありました。
ただしその一方で、縦書きと右横書きを併用する刊行物も非常に根強く、その意味で横書きは「右横書き」と「左横書き」の2つのパターンが混在して世の中に出回っていました。
そのため人々は混乱し、左横書きの出版物の中には、わざわざ文章の起点を示したり、左横書きであることを明記したものも出ています。
このような横書き表記の混在を避けるため、戦時中の1942年3月13日、文部省図書局国語課は「横書統一案要綱」(昭47厚生00035100)を取りまとめます。
この要綱において、国語の横書きは「左書トスルコト」と提言され、その後7月17日国語審議会で「国語ノ横書ニ関スル件」を採択し、横書きの表記は右横書きではなく「左横書き」で統一すべきことを答申しています。
ところがこの答申は、特に右翼や保守層を中心に猛反発を受け、結果的に立ち消えとなります。
ただし戦時中においても、例えば歴史・地理教科書のキャプションに左横書きが採用されたり、また市電切符や配給資料などでも左横書きで表記されていたところもあり、一律で右横書きで統一されていたわけではありませんでした。
画像2 文部省図書局国語課
「横書統一案要綱」内資料
(国立公文書館、請求番号:昭47厚生00035100)
戦後、このような横書き表記の混在は、次第に左横書きが席巻することとなります。
戦時中に受けた左横書きに対する猛反発は、戦後に欧風の印刷物や書き方が入り込んでくることでほとんど見られなくなり、1946年頃から徐々に新聞・雑誌や切手・はがき、紙幣などの印刷物も左横書きを採用する動きが出てくるようになります。
たとえば新聞では、『読売報知新聞』が1946年1月1日より左横書きに切り替えたのが最も早く、『毎日新聞』は同年11月16日に、『朝日新聞』は1947年1月1日からで、最も遅いものでも『日本経済新聞』もまた1950年7月25日より左横書きを採用しています。
そして政府の公文書においても、このような日本語表記の簡素化・合理化の流れを受けて、表記の基準が改められるようになりました。
1949年4月5日に内閣官房長官より通達された「公用文作成の基準について(依命通達)」(昭57総00051100)によれば、横書き表記に関しては一定の猶予期間を定めて「なるべく広い範囲にわたって左横書きとする」と定められました。
なおこの時に用字についても、「かなはひらがなを用いることと」し、「漢字は当用漢字表・同音訓表」によって表記するものと通達されています。
このように日本語の表記は、戦前から戦後にかけて大きく変化しました。
ただし戦前と戦後でそれぞれくっきりと切り分けられていた訳ではなく、戦前にも現在の新字体にあたる簡易字体漢字や、左横書きの表記も採用されていたことからも分かるとおり、これらは明治以降の「国語国字問題」など国語改革・国語政策の一環として長い間論じられたものでした。
その後も私たちの使う日本語は、新たな表現方法や媒体の登場を受けて、絶えず変化の波に乗りながらも変わりつづけています。