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はい、ラジオ体操は1928(昭和3)年に放送が開始されました。
日本のラジオ体操は、アメリカのメトロポリタン生命保険社のラジオ体操を主なモデルに、逓信省簡易保険局によって簡易保険の宣伝、そして健康意識の涵養を目的として企画されました。
1928年11月に東京放送局で放送が開始されると、早い段階から小中学校の朝礼体操として普及していきます。
1929年2月から大阪局が独自の体操番組を放映するなど当初は全国共通のプログラムではなく、全国放映の体制が確立するのは1934年以降でした。
この頃はラジオが急速に普及し、その結果としてラジオにおける甲子園や六大学野球の実況中継が熱狂的人気を集めており、スポーツの振興やその基礎でもある身体の健康が強く意識されるようになる時期でした。
また、健康を支えるためにも規則正しい生活=自ら生活を規律するという意識が都市生活者のなかで持たれ始めていました。
朝の一定の時間(戦前は午前7時)に放送されるラジオ体操は、早起きを通じてこうした健康への願いや自主的な生活の規律という観念とまさに合致したのです。
これらの状況を背景として、1930年代にラジオ体操は当初の思惑を超えて爆発的に普及することになります。
画像1 「写真週報」第181号、1941年8月(Ref.A06031077600)
一方、同じ時間にラジオに合わせて体を動かすというラジオ体操の形式は集団化に傾いていきます。
ラジオの所持率がまだ各家庭に一台という段階に達していない状況だったことも作用して、広場で集団体操が行われました。
さらに規律の観念の象徴としての早起きを励行する運動とも結びついて、1930年夏に東京の万世橋署の巡査が計画したとされる「ラジオ体操の会」が全国に急速に拡大していきます。
こうしたラジオ体操における集団主義は、国家による動員との親和性を持っていました。
日本全国に流れるラジオに合わせて一斉に体操するという行為が、国家の一体性を象徴するものとして捉え直されます。
様々な儀式や大会に合わせて大規模なラジオ体操の会が開かれるようになりますが、そこでは国旗掲揚や国歌斉唱、宮城遥拝とラジオ体操が連続して進行されました。
画像2 「写真週報」第250号、1942年12月(Ref.A06031084500)
さらに、日本の植民地や戦争勃発後の占領地でもラジオ体操の普及が図られました。
ラジオ体操は日本の代表的行事であり、植民地や占領地でその行事が実施され、さらにそれに合わせて体を動かす住民たちが存在するという事実に日本の支配を象徴させたのです。
第二次世界大戦の終戦直後、ラジオ体操は1週間ほど中断しただけですぐ再開されました。
しかし、GHQからファシズムの象徴という嫌疑をかけられ、1946(昭和21)年に号令を廃止し音楽だけの二代目ラジオ体操が導入されます。
ところが、新しい体操は難易度や親しみやすさの点で問題があり、ラジオ体操は約4年近くの中断を経験します。
そして1951(昭和26)年5月に現在のラジオ体操第一が導入されると、ラジオ体操は再び国民的行事としての地位を取り戻しました。
そもそもラジオ体操が戦前爆発的に普及したのは、個々の国民の健康への願い、身体や生活を規律付けるという意識に応えたためでした。
そうした願いや意識が近代社会においては普遍的なものであるからこそ、今日においてもラジオ体操は日本国民に愛され続けているのではないでしょうか。