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Q&A

戦時中もデパートは営業していたの?

今や、高級ブランドのバッグから最新スイーツまで、何でもそろうデパートですが、戦時中は国の経済統制と深刻なモノ不足に直面しました。


しかし、そうした様々な困難を乗り越えて、戦時・戦後もデパートは営業を続けます。




日本に初めてデパートができたのは明治時代のことです。


1905(明治38)年元旦、銀座の三越呉服店が、様々な品物を陳列販売する「デパートメント・ストア」化の新聞広告を掲載し、大きな話題となりました。


続いて、同じく老舗呉服店の高島屋・松坂屋・大丸なども次々と新装開店し、現在の大手デパートが誕生します。


初期のデパートは海外からの輸入品などを主に扱う高級店でした。


しかし、第一次世界大戦後の不況や1923(大正12)年の関東大震災をきっかけに、「特売」(バーゲン)が行われるようになると、デパートの大型化と大衆化が進みます。


広くてきれいな店内には自動ドアやエスカレーターが設けられ、食堂や屋上庭園は多くの家族連れでにぎわいました。


食品売場の拡充や商品券の発行が始まったのもこの頃です。


また、鉄道の発達とともに、阪急・東急・近鉄といった電鉄系デパートが各地の駅前に開業し、客層はいっそう広がりました。


まさに、戦前のデパートは「百貨店」と呼ばれる庶民の人気おでかけスポットでした。




ところが、日中戦争が勃発すると、デパートも変化を迫られます。


1937年、戦時の産業合理化のため、「百貨店法」(昭和12年8月13日法律第76号、Ref.A14100607400)が定められました。


これによって、デパートの売場面積や販売品目は制限され、営業時間は午後6時(夏季は午後7時)まで、定休日は月1日以上と規制されます。


また、「百貨店組合令」(昭和12年9月24日勅令第534号、Ref.A14100609200)にもとづき、デパート業者は「百貨店組合」への加入が義務づけられ、商工省の指導を受けることになりました。


国の経済統制がデパートにも及ぶようになったのです。





画像1「デパートの慰問袋売り場」
〔三越『株式会社三越85年の記録』(三越、1990年)、126頁「戦線で喜ばれる慰問袋の会」〕

さらに、戦争が長期化すると、モノ不足にともなう物資の統制が進みました。


1939年の「価格等統制令」(昭和14年10月18日勅令第703号、Ref.A02030150000)により、物価は国が決めることになりました。


1940年には「七・七禁令」と呼ばれる「奢侈品等製造販売制限規則」(昭和15年7月6日商工農林省令第2号、Ref.C01006032200)が出され、宝石・貴金属や高級服といった贅沢品の製造・販売が禁止されました。


翌年からは主食品や衣料・日用品の切符配給制が始まり、デパートも衣料の配給所に指定されました。





画像2「代用品をすすめるデパート販売員」
〔『写真週報』162号(1941年4月2日)、Ref.A06031075700 4画像目〕

こうした戦時体制の下で、当然ながら店頭に並ぶ商品数は減り、売上は落ち込みます。


「欲しがりません、勝つまでは」で有名な節約スローガンも、客足を遠のかせました。


そこで、多くのデパートは食器・タオルなどの生活実用品や、戦地の兵隊に送る慰問袋(缶詰・菓子類・文房具などの慰問品を詰めた袋)の販売に力を入れるようになりました。


また、節約用の代用品も開発されました。


一方、空いた売場は戦意高揚や国策宣伝のための催事場として利用されました。


「兵隊さんに喜ばれる慰問袋相談の会」(Ref.C04014919400)・「国防と被服展覧会」(Ref.C04014743600)・「戦費と国債展覧会」(Ref.C04014865700)といった軍との共催企画は評判を呼び、集客の増加にもつながったようです。


しかし、戦時末期になると大都市は空襲を受け、被災したデパートは一時営業停止に追い込まれました。





画像3「空襲で被災した銀座のデパート」
〔『昭和館特別企画展 戦後70年 よみがえる日本の姿』(オーストラリア戦争記念館所蔵写真展)、9 銀座の服部時計店(現・和光)と三越百貨店 昭和20年(1945)〕

戦後も、デパートの苦境はしばらく続きました。


モノ不足とインフレにより配給制は継続され、空襲を免れた建物はGHQのPX(購買部)として接収されました。


全国のデパートの総売場面積は戦前の3~4割にまで減少し、出張販売や中古品の売買をして危機をしのいだ店舗もあったといいます。


1947年、「独占禁止法」の制定により、自由な経営を規制する「百貨店法」が廃止されると(昭和22年12月19日法律第212号、Ref.A13110928600)、デパートは次第に活気をとり戻します。


その後、中小商店の保護を目的に1956(昭和31)年から第2次「百貨店法」が施行され、さらにスーパーマーケットという新業態が出現したことで、日本の小売業界は激しい競争時代に突入しました。


同時にデパートの営業形態や商法も多様化し、高度経済成長とともに高まる大衆の購買意欲をますます刺激していったのです。

【 参考文献 】

  • 小山周三・外川洋子『産業の昭和社会史7 デパート・スーパー』(日本経済評論社、1992年)
  • 末田智樹『日本百貨店業成立史-企業家の革新と経営組織の確立』(ミネルヴァ書房、2010年)
  • 初田亨『百貨店の誕生-都市文化の近代』(筑摩書房、1999年)
  • 商工省調査統計局調査課『百貨店をめぐる経済統制の概况並に売上高の趨勢』(調査課資料第6号、1948年)
  • 三越『株式会社三越85年の記録』(三越、1990年)

【 参考資料 】