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Commentary | 師団は、日本陸軍の常備兵団における最大の編制単位。1895(明治28)年の日清戦争終結以降、日本はロシアとの戦争に備えるために戦力を増強することとなり、6個師団を新設したが、第11師団はその一つであり、1898(明治31)年12月善通寺に新設された。初代師団長は乃木希典。第11師団は、歩兵第22旅団(丸亀)と歩兵第10旅団(松山)で構成され、隷下に歩兵第12連隊と歩兵第43連隊(丸亀)、歩兵第22連隊と歩兵第44連隊(松山)等が置かれた。1900年の北清事変(義和団事件)では、隷下の歩兵第12連隊から第3大隊が派遣された。事変後に、現地での汚職事件(馬蹄銀事件)が起こり、乃木希典師団長は引責辞職した。1904年日露戦争では、第11師団は第3軍に属して旅順攻略戦に参加し、東鶏冠山をめぐる攻防戦では多くの死傷者を出した。その後第11師団は、同年10月の沙河会戦、1905年3月の奉天会戦に参加した。1909年から約1年半にわたり、第11師団は満洲に駐屯し旅順から公主嶺にかけての鉄道沿線上の主要地に駐屯した。第1次世界大戦後の1919(大正8)年9月には、第11師団隷下の部隊から青島守備歩兵第4大隊が編成され、1920年9月まで青島に派遣された。シベリア出兵の際には、1920年9月に第11師団主力がウラジオストクに派遣され、シベリア各地の治安維持の任務にあたった。1923年の関東大震災の際には、第11師団から工兵第11大隊と救護班が東京や神奈川に派遣された。1925年の宇垣軍縮により、第11師団の歩兵第62連隊が廃止された。 |
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Upper level hierarchy | |
Reference Codes | 「第11師団の主力露領及北満洲派遣並第13師団の一部及第14師団帰還に関する特別規定の件」Ref:C03010267600 |