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Area | 日本 |
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City name | 東京 |
Commentary | 1905年3月25日に日露戦争後の膨張経費削減を目的として「通信官吏練習所規則」が定められ、東京郵便電信学校は通信官吏練習所となった。両者の相違点は多く、部外募集の中止、修業期間を1年に半減、そのため在学中の徴集猶予は撤廃、在学中は入学前の俸給に加えて月額4円の修学手当を支給するなどと改められた。これは教育機関から職員訓練機関への縮小を意味するものであったが、その措置は学校存続のための窮余の策であった。1909年通信官吏練習所所長に就任した坂野鉄次郎の建議によって11月20日逓信省告示1155号「逓信官吏練習所規則」の施行をみた。東京郵便電信学校の復興を企図した逓信官吏練習所は、修業期間を行政科2年・技術科2年・電信科1年に延長し、卒業後の奉職義務年限を5年とした。また、行政科・技術科は部外募集可、在学中は無給雇員であるが修学費用として月額10円を支給し、部内出身者はその額を50%以上増額することが定められた。これらは逓信官吏練習所において、学校教育に舵を戻すための改革であったようである。その後は、座学重視と手当増額によって優秀な学生の確保が目指され、大学昇格も目指されたが実現はしなかった。そして、総力戦体制によって1943年11月逓信官吏練習所は通信院官吏練習所と改称され、45年3月には高等逓信講習所と改称された。戦後、GHQの教育政策に従い「逓信職員訓練法」が成立・施行され、高等逓信講習所は廃止されることになった。 |
Upper level hierarchy | Meiji > Education > Ministry of Postal and Telecommunications > Communication Staff Training School/Communication Staff Training School |
Reference materials | 三上敦史「逓信講習所・逓信官吏訓練所に関する歴史的研究ー文部省所管学校との関係に注目してー」『日本の教育史学』50、2007。「逓信職員訓練法」(アジ歴Ref:A13111012300) |
Secretary general of the past | 坂野鉄次郎(通信官吏練習所所長) |