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Area | 日本 |
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City name | 東京 |
Commentary | 日中戦争中の1938(昭和13年)12月、勅令第758号により内閣総理大臣を総裁として、対中政策、中国占領政策を担当し関係各省庁を調整する機関として設置された。これによりそれまで中国占領地政策の調整を行っていた内閣第三委員会は発展的に解消された。それまで現地軍が主導してきた占領政策を総理大臣の強力な指導の下に中央で行おうとする意図により構想されたが、対中政策の権限を奪われかねない外務省からの強い反発を招いて第一次近衛文麿内閣の宇垣一成外相辞任の原因となった。さらに設置後も興亜院には軍が強い影響力を及ぼす一方で、現地軍が政治的活動を止めなかったため当初の目論見に反してその役割はかなり限定されており、活動の重点は占領地の経済運営に置かれた。経済運営や開発に資するため数多くの技術者を動員して大規模な調査を行っておりその史料が残っている。1942(昭和17)年11月、他部局と統合されて大東亜省となった。 |
Upper level hierarchy | Showa (Sino-Japanese War / Asia-Pacific War) > Wartime Regime > External Affairs > Cabinet > Prime Minister > Board of Asia Development |
Lower level hierarchy | |
Reference materials | 「興亜院」(馬場明)『国史大辞典』第5巻、276頁。久保亨「興亜院とその中国調査」(姫田光義ほか編『日中戦争の国際共同研究1 中国の地域政権と日本の統治』慶應義塾大学出版、2006年)。加藤陽子「興亜院設置問題の再検討――その予備的考察」(服部龍二ほか編『戦間期の東アジア国際政治』中央大学出版部、2007年)。 |