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Area | 日本 |
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City name | 東京 |
Commentary | 1942(昭和17)年2月20日の勅令第95号「大東亜建設審議会官制」により、内閣総理大臣の監督下に設置され、内閣総理大臣の諮問に応じて、軍事・外交を除く大東亜建設に関する重要事項を調査審議することとされた。また、同審議会は内閣総理大臣に建議することもできると規定された。同審議会は総裁1名、委員40名以上より構成され、総裁には内閣総理大臣が就任した。委員は学識経験者の中から、勅命により就任することとされた。同審議会には、幹事長・幹事・幹事補佐を置くこととされ、幹事長には企画院総裁が当たった。大東亜建設審議会は、1942年5月4日に「大東亜建設基本方策」を策定し、15年間に重要国防資源の自給自足を図ることを目標とした。同審議会には1943(昭和18)年3月時点で綜合(第1)、文教(第2)、人口および民族(第3)、経済建設・基本政策(第4)、鉱工業および電力(第5)、農林水産畜産(第6)、交易および金融(第7)、交通(第8)、鉱産(第9)、食糧(第10)、繊維資源(第11)の計11部会があった。各部会の部会長には、関係各大臣が就任した。大東亜建設審議会は日本敗戦後、勅令608号により、1945年10月26日に廃止となった。 |
Upper level hierarchy | Showa (Sino-Japanese War / Asia-Pacific War) > Wartime Regime > Economic and Industrial Policy > Cabinet > Greater East Asia Construction Council |
Reference materials | 「大東亜建設審議会官制」(Ref:A03022699500)。「大東亜建設基本方策」(Ref:C12120393500)。「戦後対策審議会官制等廃止ノ件」(Ref:A04017771600)。松本俊郎「第2次大戦期の戦時体制構想立案の動き―「美濃部洋次文書」にみる日満支経済協議会,大東亜建設審議会の活動―」『岡山大学経済学会雑誌』25(1・2)、1993年。 |