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Commentary |
南方軍は、1941年11月5日に東南アジアに展開する陸軍を統括する総軍として東京において編成された。総司令官は編成時から終戦まで元帥陸軍大将寺内寿一(1943年6月に元帥府に列せられる)。総司令部は開戦後の1942年9月にシンガポールへ移り、その後、1944年4月5日マニラ、同年5月11日にサイゴン(ホーチミン)に移転する。終戦後は、東南アジア連合国軍最高司令部の所在地であるシンガポールに移り、1946年3月15日にはジョホールバルに移転して復員業務を行った。南方には750,000名あまりの日本人がおり、できるだけすみやかな帰国を企図したが、1946年5月に連合国軍は100,000人をこえる作業員の残留を通告。復員までの間、作業員は東南アジア各地で労役に服した。その他の復員は1945年11月から大安丸、駆逐艦神風を用いて部分的に実施される。本格的な復員は1946年4月から実施され、リバティ船75隻、LST4隻、日本船22隻が回航し、同年7月末までに完了した。作業員の復員は1947年3月より開始し、蘭領インドシナ、マレー、シンガポールの順に進捗。日本丸、海王丸、大安丸、ぼごだ丸、朝嵐丸、輝山丸が常時回航し、その他日本船5隻、イギリス船数隻が臨時に用いられる。12月1日に南方軍総司令部が乗船した最後の復員船である輝山丸が佐世保港に入港したことをもって、南方軍の復員が完了した。
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Reference materials |
『戦史叢書 南西方面陸軍作戦〈92〉マレー・蘭印の防衛』、462~464頁『南方軍復員史 別冊 下(復員関係資料集成第8巻)』、363~370頁C15010232100。
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