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Area |
Philippine
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City name |
Illihan, Cebu Island
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Commentary |
最後の師団長は、陸軍中将福栄眞平。1944年7月10日付で、独立混成第31旅団を改編して編制完結。比島のピサヤ地区、パラワン島の警備を担任し、第十一号作戦準備に従事。米軍がパラワン、ネグロス方面に進攻することを予想し、バゴ河畔(ネグロス)、チクバワン(パナイ)に防禦陣地を設定。第一次捷号作戦開始により、同年10月20日鈴二号発令により、師団司令部及び所要の部隊はレイテ作戦へ参加。兵団司令部はバコロドに到る。11月17日、師団司令部はオルモックに到着後、直ちにピナ山麓に戦闘司令所を設置。米軍のレイテ西方海岸に対する攻撃は早く、第一線部隊の後方を米軍に挟まれ、日々小戦闘を交戦。12月30日から31日にかけて、ヴァリティ海岸に移動し、31日軍司令部ならびに玉、星兵団と連絡成る。レイテ西海岸に到着するや、師団司令部はビサヤ地区に転じて、レイテ島を除く第三十五軍作戦地域内の諸部隊を指揮。一方、レイト島の隷下部隊は金田大佐の指揮下に入り、ガンギボット山附近の陣地めぐり米軍と交戦。1945年1月5日、師団司令部は旧作戦地域内への転進を計画し、ヴァリティ海岸を出発。米軍魚雷艇と暴風雨により、師団長以下20名、警戒隊15名は翌6日にセブ島に到着。1月15日、セブ市到着するや、師団長、参謀長はその職権停止。金子参謀とその他司令部の者は共に防衛司令部勤務を命じられる。防衛司令部は自活自戦の態勢により、セブ市周辺地区の防衛に当たるも、ついに陣地保持の限界に達し、1945年4月12日、セブ島北部に移動を開始。1945年8月15日、通信隊の傍受により、終戦を知る。米軍と停戦協定の交渉を行っていた第1師団(玉兵団)から連絡があり、8月28日、師団長はイリハンに赴き、米軍第77師団長と正式に停戦協定を結ぶ。在セブ部隊は、8月30日終結し、翌31日に武装解除を完了。米軍の収容所に入り、事後各個に復員。師団長は福栄真平中将。
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Upper level hierarchy | |
Reference materials |
Ref:C14061320500、C12122500400
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