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Area |
Philippine
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City name |
Luzon Island
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Commentary |
南西方面艦隊は、1942年4月10日、第1、第2、第3南遣艦隊を統括する艦隊として設立された。この時点では司令長官は第2南遣艦隊司令長官と兼務。編成時の主な水上戦力は重巡洋艦足柄を核とする第16戦隊。1944年1月1日、戦時編成。第16戦隊の重巡洋艦足柄は隷下を離れる。なお同艦は1945年6月8日沈没。代わりに重巡洋艦青葉を編入。以後艦隊は南西方面の陸兵輸送をはじめ終戦時まで様々な作戦に参加した。1944年夏以降、フィリピン地上戦。艦隊司令部はフィリピンの防衛にあたる第3南遣艦隊司令部とともにあったため、1945年2月5日、第1、第2南遣艦隊は隷下をはなれ新設された第10方面艦隊に編入。司令部は終戦時までフィリピンで孤立。終戦時の司令長官は海軍中将大川内伝七。大川内は南西方面艦隊司令長官と第3南遣艦隊司令長官を兼任していたため、南西方面艦隊司令部は第3南遣艦隊司令部とともに終戦を迎えた。トッカンからチノックへ向けて移動中のこと。生存した司令部防衛隊約1500名はチノック、トッカンに収用。9月2日13時、パラオ地区最高指揮官陸軍中将井上貞衛が米国巡洋艦エミック艦上で米国現地軍最高指揮官海兵少将F・O・ロジャースと停戦降伏文書を調印。14日から逐次武器弾薬の引渡、地雷除去等の危険物処理、港湾施設の補修および食糧増産等を実施。17日、戦闘序列解除。21日から復員開始。一部は12月中旬から1946年2月下旬までコロール、アラカベサン、マラカル、ヤップ島の崩壊物清掃に従事。2月26日、最終部隊がパラオ出港。3月4日、浦賀に上陸。復員完了。大川内は1947年1月復員。
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Upper level hierarchy |
Showa (Post World War 2 Period) > Station Place of Japanese Army and Navy at the End of WW2 (Except for Honshu, Kyushu,
Shikoku) > Dutch East Indies > Imperial Japanese Navy > Combined Fleet > South-West Area Fleet Headqurters
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Lower level hierarchy | |
Reference materials |
『連合艦隊海空戦戦闘詳報』別1巻、アテネ書房、1996年2月、55頁
『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦』6~21、322~328、540、550~551、695頁
『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦<2>』235~236頁
福川秀樹『日本陸海軍人名事典』芙蓉書房出版、1999年12月、95、175、459頁
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