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Area |
British Malay
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City name |
Singapore
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Commentary |
第7方面軍は、1944年4月に旧南方軍総司令部の人員を主体としてシンガポールで編成。爾後同地で隷指揮下部隊を統率。主な作戦地帯は、スマトラ、ジャワ、ボルネオ。ビルマ(ミャンマー)失陥後の1945年5月24日に「特に昭南周辺地区の確保を重視する」方針を提示し、シンガポール周辺地区防衛強化促進を図った。終戦時の軍司令官は陸軍大将板垣征四郎。終戦後、1945年8月16日、幕僚会議を開き、協力して終戦処理に当たることを決定、同月18日に即時戦闘行動の停止、原住民軍隊の解散、昭南地区防衛築城の中止を命令、同月25日に作戦任務解除、武力行使停止。1945年9月に司令部はレンガムに移駐し終戦処理、同年11月には一部を先発隊としてレンパン島へ移した。1946年4月に板垣大将が東京に召喚されたため第3航空軍司令官陸軍中将木下敏が第7方面軍司令官代理に就任。同年7月にはレンガムにおける方面軍司令部の機能を停止し、爾後基幹人員は主としてシンガポール残由作業隊の指揮にあたり、1947年12月2日に最終船で佐世保に上陸し復員を完結した。
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Reference materials |
アジ歴Ref:C12122485800、3~4画像目、『戦史叢書 陸軍作戦マレー・蘭印の防衛』、438~442頁
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