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Area |
Okinawa
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City name |
Miyakojima
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Commentary |
1940年8月、満洲国新京にて編成完結。9月、哈爾賓に移駐。1944年3月、斉斉哈爾に移駐。スキー橇による戦闘を想定した、対ソ戦を念頭に置く精鋭部隊であった。しかし、沖縄輸送中の独立混成第44旅団・独立混成第45旅団が雷撃を受け海没したため、師団の沖縄への転用が決定。7月、第32軍の隷下となり、釜山経由、宮古島へと移動した。同7月、独立混成第45旅団を、9月、独立混成第59旅団と独立混成第60旅団を指揮下に入れ先島集団を形成。沖縄戦では空襲や艦砲射撃に曝されたが、45機を撃墜した。戦いを通じ、宮古島における陸軍関係の戦病死は2,419名であった。なお、沖縄本島の戦況悪化に伴い、1945年5月、第30軍の指揮下を離脱。第10方面軍直轄となると共に、第32軍の直轄であった大東守備隊が指揮下に復した。また独立混成第45旅団が指揮下を離脱。第10方面軍直轄として、航空部隊を除く石垣地区所在部隊の指揮することとされた。7月、作戦に関し、海軍の宮古島警備隊を指揮下に入れた。終戦の報を受け、8月25日、隷下指揮下の対敵作戦任務を解除。宮古地区の陸軍兵力は、全部隊で24,591名であった。現地徴収の将兵は9月1日召集解除。降伏調印式は9月7日、武装解除完了は10月6日。それぞれ、第28師団長納見敏郎中将が沖縄方面の代表を務めた。連合軍最高指揮官の指令により沖縄本島に移動した将校以下5,431名を除き、おおむね11月~翌年2月にかけて宮古島平良を出港、浦賀・似島に上陸し復員完結。ただし、12月、歩兵第3連隊の将兵7,000名は連合軍より沖縄本島に派遣を命じられた。終戦時の部隊長は、納見敏郎中将。
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Upper level hierarchy | |
Reference materials |
C11110015600、C11110016300、C12122499000、『沖縄方面陸軍作戦』、C11110238000、太平洋戦争記録先島群島作戦(宮古島編)http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0304008、其の後判明せる石垣島及宮古島方面の状況http://www.okinawa-sen.go.jp/view.php?no=B0905025
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